Facebookはこちら

時々雑感 諭吉さんから栄一さんへ

雑感

変わるのは肖像画だけ?

今日は。香港在住弁護士のマイクです。

2024年から一万円札の肖像画が渋沢栄一さんに変わります。聖徳太子から諭吉さんに代わったのはついこの間だと思っていたのに、あれもう40年近く昔だったんだ。覚えていることで歳がバレますね。

この諭吉さんから栄一さんへの変更、単に新札発行というだけではなく考えれば考えるほど世界の資本主義の転換を暗示してる気がしてなりません。

諭吉さんは1835年生まれ。1868年の大政奉還の時は(数えで)34歳です。武士の生まれだから論語なんかも当然しっかり学んでますが、咸臨丸でアメリカ行って近代西洋文化に触れ、日本がいかに遅れていたかを痛感します。急いで日本を西洋化、近代化しなきゃ。1972年には「学問のすすめ」を出版し、西欧諸国で支配的だった天賦人権説に倣って「人は生まれながらにして平等で自由だ、差がつくのは学問だ、だから勉強しろ!」と、訴えます。

ここで諭吉さんがいう「学問」とは、ただ難しい漢字ばかり習い、わかりにくい古文を読んで和歌や詩を楽しむだけの役に立たない儒教や漢学(諭吉さんがそう言っています。私じゃありません!)ではなく、「実学」つまり近代文明を作り出した自然科学や近代工学のことです。この頃、日本はまだ明治になったばかりで軍事力も経済力もヨレヨレですから、イギリス、フランス、ロシア、アメリカの列強にいつ征服されてもおかしくない。このまま列強の植民地になるか、その前に日本を西欧諸国と対等の国力を持った民主主義国家に進化させるか、危機感は相当だったはずです。日本がこんなに遅れているのは、それまで何百年ものんびり道徳や文学を学んでいた儒教が原因だ、そんなものをやってる暇があったらもっと役に立つ学問を学んで経済も文化も近代化へ突き進め、と主張します。近代化には儒教は邪魔と考えていました。

諭吉さんは啓蒙思想家ですからビジネスには手を出しませんでしたが、学問のすすめで提唱した自由主義、平等主義と実学の奨励は、日本が欧米諸国に並ぶ近代資本主義経済を実現させていく思想的基礎となりました。

一方、栄一さんは1840年生まれ、諭吉さんより5歳年下です。農民の生まれでしたが、財力はあったので一通り学問は修めてました。諭吉さんと同じように明治維新前に海外(パリ万博)に派遣されて近代西洋を実感します。ただ途中で大政奉還となり日本に呼び戻されてしまいました。しかし西欧で目の当たりにした近代は栄一さんを目覚めさせるのには十分でした。

日本に戻った栄一さんは最初大蔵官僚になり、日本の近代化のためのあらゆる改革に手をつけます。しかし1873年(明治6年)、実業界に転身すべく官僚を辞めてしまいます。当時は学問は官(士)がする尊いもので、商売(農工商)に学問は不要、しかも卑しい金銭を扱うものとして蔑まれていました。栄一さんの辞職を聞いた同じエリート官僚の玉乃世履さんは、強烈に反対します。

玉乃「お互い遠からず長官にも大臣にもなれる。官として国家に尽くすべきだ!それを卑しい金銭に目が眩んで商人になるとは見損なった!!」

栄一「それは違う!確かに日本には近代化のために政治や教育など改革すべきところがたくさんある。しかし、最も遅れているところは商売だ。商売が振るわなければ国は富わない。金銭が卑しいなどと言っていては国家は成り立たないんだ。君が尊いと言う学問を一生貫いて商売をしてやる!官も民もどちらも尊いのだ!!」

栄一さんは、1916年、御年76歳の時に「論語と算盤」を世に出しました。これは彼の経営哲学の集大成です。なぜ、官僚を辞めて実業界に身を投じたのか、何を理想としてきたか、何を信念に実践してきたか、何を後世に伝えるかなど、彼の全てが詰まっています。官尊民卑の考えが深く浸透していた当時に(これって今でもそう考えている政治家がいっぱいいますね)、商売も学問と同じく尊いものであり倫理と利益の両方を目指すべきである、栄一さんの見事な慧眼です。

商売に論語を結びつけた栄一さんは、会社は公共財と考えていました。事業から生じる利益は公益のために還元されるべきでそこに私利私欲を入れてはいけない。つまり、会社は株主の利益のためにあるのではなく、公益のために存在すると考えていました。自由主義に基づき、大資本家が事業を行なって利益を独占する典型的「資本主義」とは一線を画しています。なので、栄一さんは岩崎弥太郎とは意見が合わなかったようです。弥太郎さんから手を組まないかと屋形船で酒を飲みながら誘われましたがキッパリと断って、馴染みの芸者と一緒に消えていきました。。。

弥太郎さんは大財閥を築きましたが、栄一さんの興した会社は多くの株主に保有され社会に還元されています。常に何が日本に必要か、公益性があるかという観点から投資していたそうで、それらの会社は、銀行、電力、ガス、陸海運、保険、製紙、紡績等、日本に必要な会社ばかりです。いずれもすぐに利益を上げられる事業ではないので、利益が上がるまで投資を続け、利益が上がって株式を売却するとそのお金で次の事業に投資するということを繰り返していました。また、教育や医療等の公共事業も多く携わり、実業界を引退した後も養育院の院長を亡くなるまで勤めていたそうです。

栄一さんを指して「日本近代資本主義の父」とよく言われていますが、これは誤解を招く言葉だと思います。栄一さんは「資本主義」という言葉は使わず「合本主義」という言葉を使っていました。資本家が資金を投資して収益を上げ資本を増大させる仕組みが資本主義なら、多くの人が資金や人材を出し合った事業から収益を上げ、これを多くの人で分け合う、つまり社会に還元することが合本主義です。栄一さんは利益を独占することを心底嫌っていました。

さて、近代西洋思想を啓蒙した諭吉さんが一万円札の肖像画になったのが1984年。世界ではミルトン・フリードマンを中心に新自由主義経済が主流となり、全てのものは商品として取引の対象とみなされ、資本家が一層資本を増やし、株主資本主義が絶対正義として崇められ、マーガレット・サッチャー首相が「There is no such thing as society」と発言した頃です。日本は高度経済成長を果たし、GDPはアメリカに次いで第2位、1979年にはジャパン・アズ・ナンバーワンが出版されてハーバード・ビジネス・スクールでは日本のビジネスモデルが成功事例として研究されていました。1985年のプラザ合意を経て、日本はバブル絶頂期に突き進んでいった頃です。諭吉さんが目指した自由主義、平等主義は憲法に反映され、資本主義社会全盛期でした。

この時期、会社は株主のために存在していました

そして現在。すでに何年も前から新自由主義経済の弊害と株主資本主義の限界が議論されています。世の中は資本家と労働者で二極化し、世界中の富はほんのひと握りの資本家に集中しています。しかも資本家と労働者の格差は広がる一方である(r>g)ことをピケティは膨大なデータから示しました。世界を震撼させている気候変動も行き過ぎた資本主義の結果であると考えられています。

近時、これまで株主資本主義に邁進してきた経済に異議を唱える動きがあちこちでみられます。2019年には米国ビジネスラウンドテーブルにおいて「株主資本主義」から「ステークホルダー資本主義」への転換を宣言しました。SDGs(これについてはちょっと疑問を持っているのですが、それは別の機会に)も浸透してきました。ボリス・ジョンソン首相は、コロナ感染から退院した際に「There really is such a thing as society」とコメントしました。

日本ではずっと前から議論されてました。ミルトン・フリードマンを毛嫌いしていた宇沢弘文教授はもう50年も前から資本主義の下で全ての物を商品として取引するのは間違いで、公益のために使用される「社会的共通資本」があるべきと主張しています(「社会的共通資本」)。また、著名なベンチャーキャピタリストの原丈人氏は10年以上前から「公益資本主義」を唱え、株主資本主義を否定して会社は全てのステークホルダーのためにあると主張しています(「21世紀の国富論」)。哲学者の斉藤幸平氏は、常に成長を目指す資本主義はすでに終焉を迎えており、地域共同体(コモン)を基盤とする循環社会すなわち共同体構成員の公益を図る社会に戻るべきであると主張します(「人新世の資本論」)。そして栄一さんの合本主義です。

会社はそれに関わる全ての人のものです。

これまではこれらの考えは株主資本主義に完全に押されてました。しかし、潮目が変わりました。いよいよ栄一さんの出番です。100年以上前から唱え、またずっと実践してきた「公益」に資する会社経営哲学、「社会」に資する資本主義のあり方がついに日の目を見る時です。

一万円札に栄一さんが印刷されるころ、世の中も論語と算盤が目指した社会になっていることを確信しています。

ではまた次回。