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コモンの継承(5)

コモンの継承

空き家になっている古民家を宇沢先生で復活できるのか?

こんにちは。香港在住弁護士のマイクです。

前回のアップから随分時間が経ってしまいました。お待たせしました。お待たせし過ぎたかもしれません(Netflix見てたのがバレます)。

なぜ古民家が空き家になったのか?

僕が購入した古民家とその周辺の家屋は明治時代の半ば1870年〜1890年頃に建てられています。そこは当時から海運業の要所だったことや、塩田による製塩業の中心地だったことでかなり裕福な地域でした。隣が熨斗瓦を5枚重ねたのならうちは6枚というように近所で競って立派な家を建てるような土地柄です。もちろん田畑も持っていて自分たちや近所の人たちの作物を作っていました。そこには昔から「結」という地域の協力体制があり、農作業や普請、周辺の溜池やその水路の整備などは皆総出で協力して行っていました。それぞれの家では家族が一緒に暮らし、代々続く家業を行っていました。

日清戦争から始まっていくつかの戦争や景気の波はありましたが、基本的にこの生活様式は第二次世界大戦まで続きました。
敗戦後、急速な資本主義化の波に乗って日本は廃墟から立ち上がります。1950年代から70年頃にかけて中学や高校を卒業した子供たちが金の卵と呼ばれて地方から都会に集まります。それまで家にいて家業を行うしか選択肢のなかった子供たちが、職業選択の自由と移動の自由を得て都会に出てきたのです。裕福な家の子供たちも教育にお金をかけたおかげで都会の大学に進学します。
その後子供たちはそのまま都会で就職し、結婚し、都会で暮らし始めます。家が建ってから100年後の1970年頃には家を出た「子供」は都会に家庭を持ち子も授かります。「孫」の世代です。「実家」には年に数回「孫」を連れて里帰りするだけになります。「孫」は都会生まれの都会育ちで、「実家」はおじいちゃんおばあちゃんが住む家です。
さらに30年ほど経った2000年頃にはその「孫」も成人し、結婚して独立し、赤ちゃんも授かります。「ひ孫」です。「実家」にいたおじいちゃん、おばあちゃんももう亡くなって住む人がいなくなり、空き家です。「子供」は「実家」が気になりますから年に数回掃除や庭の手入れに戻ります。しかし、家庭を持った「孫」は祖父母もいない、周辺に友達もいない「実家」に行く理由などありません。さらに「ひ孫」からすれば「実家」は自分のルーツを辿って初めて出てくる歴史上の地域で、行ったことも見たこともない場所になっています。

ちょっと法的な観点から俯瞰してみます(一応弁護士なので)。
我が国は古くから敗戦に至るまで、儒教思想に基づく家父長制を前提にした「家」が機能していました。「家」とは個人から離れた一種の法人に似た概念、いわば一番小さな生活共同体で、例えるなら〇〇家とは〇〇村、家長は村長、家族は村人です。家屋は「家」の象徴であり、活動の拠点です。家名・家業・家産からなる家督は家のものであり、一家の長男が代々家長としてその管理を引き継ぎます。家長は家族に対して絶対的な決定権限を有していて、家族は住居も職業も全て家長の指揮監督下にありました。一方で家長は家族を扶養し、家督を守り、祭祀を執り行う義務があります。その意味では家長とその家族は領主とその使用人に近い関係で、近隣社会においては家を司る行政官でした。

明治になり個人主義が西洋文化から導入されたものの、既に文化的制度として根付いていた家制度は維持され1898年制定の旧民法で法制化されます。まず、国家が形成されたことに伴い「家」が国家統治体制の最小単位となり、天皇を頂点に、政府、県、市町村、家という形の統治体制が創設されました。家長は戸主という身分を与えられ、県知事や市町村長と同様に、国家統治体制の末端を担います。一方で、個人主義に配慮して「家の法人格」は否定され、家督は戸主の所有となりましたが、次の戸主(長男)が全て相続することで家督が代々承継される制度を維持しました。戸籍により「家」に属する家族の範囲を明確化し、戸主は家族に対して監督権と扶養義務を有する旨が規定されました。家族は法律上戸主の許可がない限り、住居を変更すること、家業以外の職業を行うこと、結婚すること、独立(分家)すること、は許されません。結婚した女性は夫の属する家の戸籍に入り(入籍)、戸主(夫とは限らない)の監督に服することとなります。戸籍に記載される世代や人数に制限はありません。

余談になりますが、先日最高裁で強制的夫婦同氏(どううじ)制に関してまたまた合憲判決が出されてました。家族の絆を守るために夫婦同氏とすることが重要であり日本の伝統だそうですが、夫婦同氏が法律上規定されたのは明治31年(1898年)の旧民法制定が初めてです。それ以前は氏を持っていた武家でも夫婦はそれぞれの氏を名乗っていましたし、明治になって平民に氏が与えられた後も基本は夫婦別氏(べつうじ)でした。旧民法で戸籍を整備し「家」を最小統治単位とした際に結婚したら女性は夫の属する戸籍に入ると規定されたので、女性は必ず「夫の帰属する家の氏」を名乗ることになり、その反射的効果として夫婦同氏となったに過ぎません。夫婦の絆のためではなく夫の所属する家の一員なったためでした。
敗戦後、新民法で家制度は廃止されました。しかし、新民法制定の時には50年近く法律で夫婦同氏を強制してきたのでいきなり夫婦別氏などという考えは思いも寄らなかったのでしょう。それでも平等主義から「夫または妻の氏」とかなり譲った形で夫婦同氏を維持したつもりだったのだろうと思います。夫婦が同じ氏を名乗ることが家族の絆のために重要だからというのは立法経緯から見れば後付けの理由ですね。

閑話休題。
敗戦後、連合軍統治下での自由主義の導入と戦前の帝国主義の否定は、天皇を頂点とした統治制度の否定でもあり、必然的に家制度の否定にもつながりました。新民法は完全な個人主義となり、家督は否定され、相続は平等となり、戸籍も三代戸籍の禁止、つまり親と子供だけに限定され、孫ができた時は必ず分籍される様になりました。戸主という概念もなくなり、長男も含めて子供たちは自由に家を出て自由に職業を選択し自由に結婚することができる様になりました。それまで家制度により家に縛られていた子供たちが、一斉に解き放たれたのです。(もちろん、集団就職は戦後困窮した地方の家庭の経済状況を少しでも改善するために子供の意思に反して行われた面もあります。)

敗戦後の日本の奇跡的な復興は、それまで何百年も継続してきた家制度の崩壊によってもたらされました。東京への生産人口の集中と核家族の増加は即ち地方の生産人口の流出と過疎化でした。

空き家の原因が家制度の消滅にあるのなら、空き家対策は家制度を復活させればいい?

家制度を前提に家屋が100年以上も維持され、代々に渡って家族が住み続けてきたことは紛れもない事実です。対処療法的な空き家対策ではなく根治療法として今後100年継続できる制度としての空き家対策を考えるのであれば、家制度の復活がその答えでしょう。ただ、今更個人主義を否定することは現実的ではないし、ましてや家族に自由のなかった家制度を現代に復活させるのは不可能です。

であるなら、現代に即した形の「家制度」を創造すれば?

家制度の要素のうち、家族が家屋や田畑を維持し代々100年一緒に暮らすために何が必要不可欠だったのか?家制度を分解して構成する要素を考えると、

① 「家」
家族と家督の帰属主体であり年代を超えて存続する主体。
② 「家督」
家に帰属し代々承継された有形無形の財産。
③ 「家長(戸主)」
代々引き継がれる家の代表者。
④ 「家族(家の構成員)」
家長の管理監督下で家督の維持を行う者。

この4つの要素が重要であったことがわかります。

そして、旧来の家制度においてこれらの要素は血縁に基づいて決定されていました

即ち「家族」は血縁で繋がる者で構成され、長男が「家長」を継ぎ家長を中心に「家族」が「家督」を維持運営してきました。全て血縁を前提にして家、家長、家族、家督の内容が決定されています。しかし現在は家族の単位が細分化され、居住も職業もバラバラで、血縁を前提にこの4要素を決定することは不可能になってしまいました。

さあどうする?

血縁がダメなら地縁はどうだ。

旧来の家制度を支えていたものが血縁であっても、家制度を家屋や田畑の承継のための制度という観点から捉えれば血縁は必須ではありません。血縁に代わる縁で家制度の4要素が決定されれば現代版家制度は創造できます。
血縁でなければ地縁でしょう。遠くの親戚より近くの他人です。

もともと「結」という地域の協力体制がありました。農作業や普請、周辺の溜池やその水路の整備などは皆総出で協力して行っていました。いまでもその体制は一部残っています。「結」は地縁を土台としています。「結」を発展させた形での地域共同体による家制度を創造すれば案外すんなりできるかもしれません。

では、現代版家制度を血縁ではなく地縁で構成し直してみましょう。

「家」は「個人から離れた一種の法人に似た概念」でした。家督や家族の帰属の主体です。これを地縁を前提に考えると近隣の人々で構成される何らかの法主体たる地域共同体となります。構成員は時代と共に入れ替わっていきますが、地域共同体は存続します。選手や監督が入れ替わっても永遠に不滅の巨人軍のようなものです。現代版家制度の存続が目的ですから、株式会社等の営利法人ではなく、非営利団体が適当です。
「家督」は、その地域で代々承継されてきた家屋、田畑、家業であり、この地域共同体が所有します。
「家長」は、この地域共同体の構成員から一定のルールによって選ばれます。選ばれた家長は「家族」の管理監督、家業の運営に責任を持ちます。
「家族」は地域共同体の構成員である近隣の人々です。家族の役割は家督の維持、特に家業に従事する事です。

こう考えると古民家も宇沢先生が提唱する社会的共通資本と同じです。築100年以上でその地域にすっかり溶け込んでいる古民家は山林や溜池と同様すでにその地域の一部である。ならば、山林や溜池に加えて古民家も地域共同体で維持管理する体制を作ればいいんじゃないか、そんなことを考え始めたのでした。

宇沢先生が解決の手がかりをくれた気がしてます。

さて、そうは言っても、実際はそんなに簡単じゃない。地域共同体の所有になったら誰か住む人はいるの?古民家修復の資金は誰が出す?家業って何?そもそも経済的に成り立つの?地域といっても他人だからその利害関係はどうやって解決?

続きは次回に。

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