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コモンの継承(4)

コモンの継承

宇沢弘文先生にはまる。

こんにちは。香港在住弁護士のマイクです。

不動産ファンド使って古民家を改築し別荘群を作るというアイディア、結構いけますよね。そのコンセプトは、

100年以上変わらない日本の原風景を第一の魅力に据える。
空き家を順次買い取り、世界の高級リゾート地の住宅に匹敵する別荘群とする。
規模が拡大するにつれ世界有数の保養地と認識される。
別荘の資産価値が向上する。
更に投資しやすい魅力的な案件になる。
素晴らしい!

素晴らしい、、、と考えているうちにだんだん疑問も出てきました。

不動産投資による街づくりは将来もこの街を維持できるのか?

そもそも今ある空き家は、相続が2代、3代と続いて孫やひ孫の時代になり、誰も住まなくなってしまったのが構造的原因です。不動産ファンドが空き家を買い取ったとしても、所有者はあくまでファンド投資家である第三者投資家の目的が投資収益にある以上、収益が期待通り上がらなければファンドは損切りの上解散し、投資物件たる家屋は第三者に転売されるか廃棄されます。収益が上がっていれば、優良収益物件のうちに売却してキャピタルゲインを得ることになるから、いずれにしても家屋は第三者に売却されます。第三者に売却されたのちは遅かれ早かれ現在の構造的な空き家問題が再燃してしまいます。
更に、ファンド投資家は短期利益を追求しますから、インフラ整備等、長期的視野での運用計画と相容れない

資本家や大手デベロッパによるリゾート開発はバブル絶頂期の1980年代に日本中で行われていました。

例えばバブル期の代表的スキーリゾートN。NPホテルに泊まってNスキー場でスキーをする。リフトが混んでて1日に数回しか乗れなくても、ユーミンを聴きながら一晩車を飛ばして通いました。「私をスキーに連れてって」がかっこよくて、わざとスキー板を一つ外して滑る練習もしました。Nスキー場の周辺には幾つもリゾートマンションが建ちました。
当時はスキーリゾート全盛期でこの華やかな世界がずっと続くと思っていたのに、バブルの崩壊と少子化であっという間に廃れました。周辺にあるマンションも週末や季節利用目的だったので、スキーブームが去った後は多くが無人のマンションとなっています。

例えば観光地としても有名なI。ここにあるI高原もバブル期には別荘地として開発・販売されて人気の地域でしたが、今は空き家が圧倒的に多く、驚くほど低価格で市場に出ています。色々な要因はあったでしょうが、大きな要因の一つは、購入したのが主に東京在住の小さな子供のいる家族であったこと。週末の1泊2日の利用が中心で子供が小さい頃は毎週のように通って自然を楽しんでいたけれど、子供が大きくなってくると親と遊ばなくなってきて、自身も歳をとってくると足が遠のき、結局空き家となっていったというのが典型的でしょう。

一方で成功している別荘地の代表は軽井沢です。ここは明治時代に開発されて徐々に発展してきたので、既に別荘地としての地位を確立しています。町としての生活もあり、最近は新幹線も通ったので東京への通勤圏にもなって、定住する人も出てきてます。空家となっても経済的に意味のある転売価格で取引が成立しています。ただし、最近は大型のショッピングモールができたり、大手資本の開発もされてきてますから今後どのように進展して行くのかはわかりません。

今回、不動産投資事業としてこの瀬戸内海沿いの街を考えた場合、NやIと何が違うのか?もちろん、スキー場でもないしホテルやマンションを建てるわけではないけど、資本家が資本を投入して別荘地を開発し、そこから収益を得て投下資本の回収を図るという基本的な構造は全く変わらない。そうすると第二のNやIになる可能性は十分ある。軽井沢となる保証もない。

これは困ったぞ。

そんなことを漠然と考えながら、経済学の本やらビジネス本やらを読んでいて出会ったのが宇沢弘文先生です。

宇沢先生がどんなに偉大な先生かを僕が語るのはおこがましいので、そこはgoogle先生にお任せします。ただ一つだけ、先生は「ノーベル賞に一番近かった日本人経済学者」といわれていますが、むしろ「ノーベル賞をもらうべきだった日本人経済学者」だったと思います。宇沢先生は1960年代アメリカで研究活動をしていますが、そのとき師事した学者、同僚の学者、弟子だった学者がことごとくノーベル経済学賞を受賞しています。宇沢先生がノーベル賞を取らなかった(取れなかった)理由はただ一つ、当時主流となりつつあったシカゴ学派に反旗を翻し、同大学を去って日本に戻ったことだと思っています。

余談ですが、シカゴ大学は経済学で有名です。シカゴ学派と言われる何人ものノーベル賞経済学者を輩出しています。僕は1990年代にシカゴ大学のロースクールに行きましたが、そこでも「Law & Economics」という概念が支配的でした。法律の授業も常にシカゴ学派経済の視点が入ってきます。
「民法」の授業の時、製造物責任を消費者に取らせるべきか製造者に取らせるべきかというテーマの講義があったのですが、教授の説明は法的責任や法倫理的視点ではなく経済的視点から「製造者に取らせても製造者は保険をかけて保険料を代金に転嫁するから、この問題は製造物責任を消費者一個人に負担させるか、消費者全体に負担させるかの問題である。」と言っていたのに新鮮な驚きを感じました。
また、契約を故意に破棄してもよいかという議論でも法倫理的視点ではなく経済的視点から「契約を履行した時の経済的利益と、破棄したときの経済的利益を比べて判断すべき。例えばあなたの土地を1万ドル、違約金2千ドルで売る契約をした後に1万5千ドルで買いたいという人が現れたら、違約金の2千ドルを払って破棄して新しい買主に売るべき」という説明に素直に感動してました。

今なら、そこはちょっと違うでしょと横槍入れます。

経済学部の友人に宇沢先生覚えているか聞いてみたら、1年生の時の大教室で授業を受けたことがあると言ってました。有名な先生の授業だからと教室は満員だったけど、教室に入るといきなり黒板いっぱいに数式を描き始めて、ほぼ数式で埋めた後に何か考え込んで、違うなと呟いてそれを全部消してしまったそうです。変わった授業でよくわからなかったと笑ってました。

宇沢先生は、50年も前からこのシカゴ学派に代表される「世の中のあらゆるものに経済的価格をつけその価値の多寡で物事を評価し判断する」という考えに異論を唱えていました、、、というか毛嫌いしてました。

世の中には、商品として取引の対象とすべきでないものがある。農地や山林であり、水道や道路であり、教育や医療である。それらは「社会的共通資本」と呼ばれる。これは全てのものを個人の所有に帰結させる「資本主義」でもなく、国が全てを管理する計画経済の「社会主義」でもない、「制度主義」を具現化したものである、と説きます。

二十世紀は(中略)資本主義と社会主義という二つの経済体制の対立、相克が、世界の平和をおびやかし、数多くの悲惨な結果を生み出してきた。(中略)この混乱と混迷を超えて、新しい二十一世紀への展望を開こうとするとき、もっとも中心的な役割を果たすのが、制度主義の考え方である。
制度主義は、資本主義と社会主義を超えて、全て人々の人間的尊厳が守られ、魂の自立が保たれ、市民的権利が最大限に享受できるような経済体制を実現しようとするものである。(中略)社会的共通資本は、この制度主義の考え方を具体的な形で表現したもの(である)。(宇沢弘文著「社会的共通資本」岩波新書 はしがきより)

痺れましたね。激しく共感しました。そうか、そうだよね。西と東の二者択一じゃないんだ。今は西が勝利を謳歌してるけど、もうそれも限界。西でも東でもない第三の道が実はあるんだ。

宇沢先生に傾倒して先生のそのほかの本も読みました。他の学者の本も読んで、対談のビデオも見ました。こうして、ずっとモヤモヤと疑問に思っていたことが少しずつ晴れていきました。

続きは次回に。